【連載1章ー3】音楽最高!人生はROCKだ!(後編)

【連載1章ー3】音楽最高!人生はROCKだ!(後編)

【1章ー1】魔法の言葉を覚えた小学生(前編)
【1章ー1】魔法の言葉を覚えた小学生(後編)
【1章ー2】なりきり法 最強(前編)
【1章ー2】なりきり法 最強(後編)
【1章ー3】音楽最高!人生はROCKだ!(前編)

この頃よく音楽の話をするようになった親友がいる。あっきーだ。小五のとき、トイレで用をたしながら後藤真希の『愛のバカやろう』を歌っていたら、後から入ってきた生徒が歌いだして一緒にワンフレーズ歌いきった。それがあっきーだった。僕がギターをやっていることを話したら、あっきーもやると言い出した。中二の十二月にあっきーの家ではじめて一緒にギターを演奏した。曲は福山雅治の『桜坂』。それまで一人でやっていたから、誰かと一緒に演奏するのは楽しかった。

冬休みになると、あっきーはB’Zの『いつかのメリークリスマス』を練習していた。あっきーはピアノ教室の息子だったから音感もよくギターの上達も早くて、あっきーがギターで僕はボーカルだな。と思い始めていた。二人でサスケ、ゆずの曲を練習して、気になる女の子の家におしかけて熱唱したこともある。その子は「HOME MADE 家族」が好きだったから、全然響かなかったけど。

小学生のときから歌詞を書きためたりしていたが、この頃から曲もつくるようになった。他にも、すでに発表されているアーティストの曲の歌詞を書き換えては隣の席の友達に見せたりしていた。その友達は困った顔をしながらも、ちゃんと褒めてくれた。優しかった。

中三になるとベース担当も見つかり、バンドっぽくなってきた。僕はもともとJ-POPがとにかく大好きで、バンドに対しては、なぜか「ヤンキー」というイメージを持っていたから、あまり興味を持てなかった。ところが、あっきーの影響でロックバンドも聴くようになると抵抗が薄れ、反動もあってか、バンド音楽にどんどんハマっていった。

そして迎えた受験シーズン。音楽の専門学校に行こうか迷っていたのだが、何をするにしても黙って見守ってくれていた父親がぼそっと
「(高校)行かんの?」
とつぶやいた。その一言に背中を押されるように、高校への進学を決め、バンド活動が盛んだという高校を選んだ。あっきーも一緒だった。

高校に進学すると、あっきーはレスポールのギターを買った。あっきーのギターの腕はどんどん上達し速弾きが得意になり、その影響でメタルなども聴くようになっていた。僕はギターをやめて、ボーカルに専念。そしてバンドメンバーが揃い、僕らは「STEREOGRAPHY(ステレオグラフィ)」を結成した。

初ライブは七月。市立図書館が入った「まなびパーク」の最上階にあるホールが会場だった。バンドメンバーはあっきー以外全員野球部だったのだが、練習試合の日と重なってしまった。試合が終わり、急いで会場に向かったが、到着したときにはすでに開場時間。
大切な初ライブだというのに、リハなし。ぶっつけ本番。すでにたくさん集まっていたお客様や友達、野球部の仲間の前で三曲演奏した。すっかりテンションが上がった僕らの演奏はテンポがどんどん速くなり、BUMP OF CHICKENの『ハルジオン』がメタルっぽくなっていた。ライブはめちゃくちゃ盛り上がって、共演したバンドの先輩がいきなりステージに上がってきて客席にダイブした。なんせ初めてのライブ。ビックリしてドン引きした。

その後はオリジナル曲もやるようになり、半分コピー、半分オリジナル曲で何度かライブに出演した。バンド活動が活発な高校だったはずが、一年生のときに先輩の不祥事が発生、学校でのバンド活動ができなくなっていた。結果、僕らは外で活動することになり、他校の同級生達にも知られる存在になっていた。練習もライブも、とにかく楽しかったし、全力で打ち込んでいた。

同じようにバンドを組んでいる生徒は同学年だけでも四、五組いた。その中でも僕らと同じように精力的に活動していたのが、オリジナル曲にこだわっていた「Logic cube(ロジックキューブ)」というバンドだ。音楽の方向性は少し違ったが、お互い一目置く感じで、意識し合っていた。

そのメンバーと、ある日喧嘩になった。きっかけは些細なことで、掃除の時間に「ROCK」について話しているうちにお互いどんどん熱くなったのだ。

彼らの言い分はこうだ。
「ポップな曲もやる亮たちのバンドはROCKじゃない。僕らは一般受けを求めずに自分たちの音楽をやっている。それこそROCKだ」

でも僕はそう思わなかった。

「ROCKは何かを否定するものじゃない。みんなそれぞれに持っているものだ。ギターの音が歪んだらROCK?そうじゃないだろ。『ROCKとはこうあるべき』みたいなものはないし、そうなればもうROCKじゃない。それぞれのカタチがROCKなんだ」

高校生バンドがROCKについて熱く語るうちに喧嘩になる、なんてのは若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、僕らは自分たちの音楽に誇りを持っていたし、それは相手のバンドメンバーも同じだったのだろう。自分が思うROCK論を主張し合って、折り合いもつかないまま、その場は別れた。

後日談だが、サラリーマンになった彼と東京で再会し、飲みに行ったときこう言われた。
「あの時、亮が言っていたことは正しかったと今は思う。俺はみんなと同じように、そういうもんだと思って進学して就職して、音楽もいつの間にかやめて、こうして働いている。亮は自分が思う道を真っすぐ貫いて歩いている。ROCKとは生き様なのかもしれない」

「ROCKとは」

世界中の偉大なるミュージシャン達が音楽を通してそれを表現し、語り、今も探求し続けているその言葉を、僕が結論づけることなんて到底出来ないだろう。それでも僕は僕のROCKを持っていて、それに忠実に生きていた。充実していた高校生活はあっと言う間に過ぎていき、バンドメンバーも、友達も、進路を考える時期がやってくる。

「みんなが行くから大学に行く」

それが当たり前なのだろうか?

決まっているのはROCKじゃない。自分がそこに行きたいか、だ。僕が行きたいのは、やりたいことは何だろう。

僕が出した答え。

──音楽だ。

続く(この連載は毎週月・木曜に更新します。)

《出版社募集!》
本連載は「なんでサムライなの?バンドやってたって本当?は!?歴史?っていうか東大?株式会社??わけわかんない・・・・」という疑問にお答えするべく、紫式部さんにインタビュー・執筆して頂きました。

同時に企画書も公開して、出版社も募ります!
企画書【現役東大生社長 職業:サムライ(仮)】
矢文(メール)はryo@dothesamurai.comまでご連絡下さいませ。
これまでの連載はコチラ!

RYO!

プロフィール
株式会社DO THE SAMURAI 総大将(代表取締役) / プロのサムライ
東京大学文学部。
在学中より「サムライを切り口に、日本の文化や歴史に’楽しく’触れるきっかけをつくる」という志のもと、毎週、世田谷松陰神社の歴史資料館で塾を開講、史跡ツアー・歴史イベントを主催。
そして、2016年4月に法人化。仲間とともに新たなスタートを切る。
株式会社DO THE SAMURAIでは、
「’日本から世界へ”国内の地域から地域へ、
日本人一人ひとりが文化や歴史を発信できる’外交官’に」というビジョンのもと、
地域の歴史ブランディングなど新たな事業に取り組んでいる。
講演依頼、問い合わせなどはryo@dothesamurai.comまで。
Twitter:https://twitter.com/RYO_ReaL
Facebook:https://www.facebook.com/ryo.real.7
株式会社DO THE SAMURAI:http://dothesamurai.com
友だち追加