【2章ー1】魔法の杖〜東大受験本格始動〜

【2章ー1】魔法の杖〜東大受験本格始動〜

【一章のまとめ】

高校二年の大晦日に彦根城で誓った東大受験。残された時間は一年とちょっと。勉強自体は嫌いではなかったし、成績も悪い方ではなかったけれども、受験勉強となると話が変わってくる。決めたはいいものの、何から手をつけたらいいのか。ミュージシャンとしてどうしたらMステに出演できるのか?と同じくらい、勉強のやり方が分からなかった。

僕の通っていた高校からの東大合格者は、現役浪人生合わせて毎年一人、二人いるかといったところ。身近に東大生はいなかったから、相談できる相手もいなかった。何より「大学になんていかない」と言い張っていた分、やっぱり受験することにした、なんて言いづらく、友達と受験について語り合うこともできずにいた。

短期間で学力を飛躍的に伸ばす必要があると考えた僕がまず取り組んだのは情報収集だった。Yahoo!で「東大 勉強法」「東大 参考書」など思いつく限りの単語を検索、そこにヒットしたページを片っ端から読みあさり、大手予備校の掲示板で生徒の口コミを読み、本屋に並ぶ「東大受験必勝法」の本に片っ端から目を通した。

オススメというよりは必ずやっておいた方がいい問題集や参考書をリストアップし、なるべく無駄なく知識をつけることができる勉強の進め方を考え、勉強計画を立ててみたのだが、そこでまず見えてきたのは、圧倒的に自分の能力が足りていないという事実だった。学校での授業も国公立大学を目指す一般的なレベルで、そのスピードでは合格ラインに届くのは無理だと思った。活路を見出そうと「東大合格体験日記」をすべて読んでみたが、そこに並ぶのは「中学の時から」「高一から」といった文字。ようやく見つけた東大志望の同級生も、小さいころから「神童」と呼ばれていたから、僕とはスタートラインが違う。
「これはヤバいな」
正直そう思った。
「でも、やると決めたし」
そう、決めたからには、言い訳せずにやるしかないのだ。

学校で過ごす時間が一日の大部分を占める以上、そこでの学習スピードを上げていかないと話にならない。けれども、授業のペースに合わせていたら絶対に間に合わない。そこで、その日授業で学ぶ教科書の該当範囲をさっさと自習で終わらせて、残りの時間は参考書を進めることにした。勉強方法は試行錯誤の末編み出した独自スタイルだ。

まずは教科書などにある「基本」「最低限覚える必要があること」をマスターする。その後はひたすら応用問題、過去問に取り組んでいくのだが、このときの「問題との向き合い方」というのが非常に重要なポイントとなってくる。ただがむしゃらに問題を解いているだけでは、時間対効果が悪すぎるのだ。これについては長くなるので、後ほど別ページで詳しく説明する。僕自身、そのスタイルで成果が出たし、後輩二人も同じやり方で合格しているから、難関大学や資格試験に挑む方はぜひ参考にしてほしい。

すっかり受験生モードになった僕は、この頃からサングラスをかけ始める。いきなり何の話だ?って感じだと思うので説明すると、勉強というのは脳に情報をインプットし、処理して、記憶として定着させるものだ。集中力を持続するためには、脳の疲労を少しでも減らした方がいいのではないかと思ったのだ。
そこで脳について調べてみたところ、脳が処理する情報のうち、視覚からの情報が約八割を占めるらしい。ということは、視覚からの情報量を減らせば脳への負担が軽くなるはず。
そこで登場するのがサングラス。サングラスをかけることによって世界は白黒になり、カラー情報が減らせることになる。(テレビも白黒とカラーでは圧倒的にカラーの方が情報量は多い)脳に負担をかけず勉強する方法を発明したのだ。
(GACKTさんやhydeさんの影響も少なからずあったのだが)

ちなみに、片目ずつ使って勉強し、右脳左脳を交互に休ませる作戦。というのもやってみたが、こちらは意味がなかったように思うのでオススメしない。

そうやって、僕は東大受験に向けての勉強を開始したのだが、まだ友達には打ち明けられずにいた。三月のある日。野球部の練習試合で対戦校に向かう途中、チームメイトにさりげなく話してみたら、彼は「僕も実は……」と将来の夢を話してくれた。ちなみに彼の夢は検事。小四の時に観たドラマ『HERO』の影響らしい。人に話したことで少し肩の荷が下りたのか、この日をきっかけにまわりにも東大受験のことを話すようになった。

音楽活動は続けていたが、メンバー全員が受験生となることもあってバンドは解散することになった。多治見市文化会館の一室を借りて、春休みに解散ライブを開催。会場は二階にあったのだが、床が抜けてしまうんじゃないかとメンバー全員が本気でハラハラするほど大人数のお客様が集まった。なんとか床は抜けなかったが、熱気と汗で床がびちょびちょになり、ライブ中は酸素が薄くて息苦しかった。

小学校から続けていた野球も六月の大会をもって引退、勉強に専念する土壌が固まり、身体を動かすより机に向かう時間の方が長くなっていった。当時好きだった女の子が「私も東大を目指す」と言い出して、一緒に勉強したり。充実していた。

夏休みを迎えたある日、ふと東京に行ってみようと思い立った。それまで、東京と言えばディズニーランドとお台場しか行ったことがなく、よくよく考えてみたら千葉だし埋め立て地だし、陸地の東京を知らないなと思ったのだ。
新幹線で東京へ。東京大学本郷キャンパスと駒場キャンパスを見学し、秋葉原でAKB劇場に立寄ったものの公演は観ずにその日のうちに岐阜へ戻った。東京の風を肌で感じ、テンションもアップ。
「東大行くぜ!イエイ!」
十分にモチベーションは上がっていた。

東大駒場キャンパスを歩いていた時、小さな木の枝が落ちているのを見つけて拾い、それをお守りにすることにした。三本拾ってきて、一本は好きだった女の子にプレゼント。もう一本は検事を目指す友達にあげた。

残った一本は、大切に机の上に飾った。僕にとってその小枝は、僕たちを東大へと導いてくれる「魔法の杖」のような存在に思えたのだ。母親はその棒切れを見るたび「虫が出そうやから捨てなさい」と言っていたが……。
(余談だが、僕が上京してすぐ母親はその小枝を捨てた。よほど気になっていたらしい)

続く(この連載は毎週月・木曜に更新します。)

《出版社募集!》
本連載は「なんでサムライなの?バンドやってたって本当?は!?歴史?っていうか東大?株式会社??わけわかんない・・・・」という疑問にお答えするべく、紫式部さんにインタビュー・執筆して頂きました。

同時に企画書も公開して、出版社も募ります!
企画書【現役東大生社長 職業:サムライ(仮)】
矢文(メール)はryo@dothesamurai.comまでご連絡下さいませ。
これまでの連載はコチラ!

RYO!

プロフィール
株式会社DO THE SAMURAI 総大将(代表取締役) / プロのサムライ
東京大学文学部。
在学中より「サムライを切り口に、日本の文化や歴史に’楽しく’触れるきっかけをつくる」という志のもと、毎週、世田谷松陰神社の歴史資料館で塾を開講、史跡ツアー・歴史イベントを主催。
そして、2016年4月に法人化。仲間とともに新たなスタートを切る。
株式会社DO THE SAMURAIでは、
「’日本から世界へ”国内の地域から地域へ、
日本人一人ひとりが文化や歴史を発信できる’外交官’に」というビジョンのもと、
地域の歴史ブランディングなど新たな事業に取り組んでいる。
講演依頼、問い合わせなどはryo@dothesamurai.comまで。
Twitter:https://twitter.com/RYO_ReaL
Facebook:https://www.facebook.com/ryo.real.7
株式会社DO THE SAMURAI:http://dothesamurai.com
友だち追加