【2章ー5】上・京・物・語〜すべては四畳半から始まった〜

【2章ー5】上・京・物・語〜すべては四畳半から始まった〜

【1章のまとめ】
【2章ー1】魔法の杖〜東大受験本格始動〜
【2章ー2】足りなかった二十点 一浪決定
【2章ー3】予備校、辞めてもいいですか?
【2章ー4】夢は見るものではなく叶えるもの。夢を叶えること、それは強い意志を貫くこと

 
「亮君、ちょっと会えたりする?」

 センター試験が目前に迫ったある日、友達から連絡がきた。

「もうすぐ試験本番でしょ。お守り、渡したいんだけど」

 連絡も取らずにいたのに、黙って見守って応援してくれていたんだ。何て優しいんだろう。ありがたい……とは正直思えなかった。毎日一年分の過去問を解いていた僕にとって、わずかな時間も惜しいし、何より下手に外に出て風邪とかインフルエンザとかうつされても困る。今思うと我ながら最低だと思うが、大切な受験を控えている身としては用心するに越したことはない。あっさり友達の申し出を断った。

 誰とも連絡を取らず、家にひきこもって一人勉強している息子に久しぶりにかかってきた友達からの電話。母親は少しほっとしたんだろう。いつもなら訊かないのに「何の用事やったん?」と話しかけてきた。

 お守り渡したいって言われたけど断った。そう簡単に告げて部屋に戻ろうとした僕の背中に母親の声が飛んでくる。

「せっかく用意してくれたのに」
「友達は大切にしなさい」

 結局、マスクを三重にしてお守りを受取りに出掛けることとなった。

 
 そこまで万全の体制を整えて望んだセンター試験だったが、結果は現役のときより五十点くらい下がっていた。パニック。……だったのだが、一分後には「考えてもしょうがないか」と開き直っていた。それでも親を心配させるのもどうかと思い、「五十点上がった」と噓をついた。普通に考えたら落ち込むはずだったが、自分でも不思議なほど、落ちついていた。東大を受験するにはギリギリボーダーぐらいの点数。足切りさえされなければ、二次試験で通るだろう。そう思っていた。

 とはいえ、噓をついている罪悪感が全くなかったわけじゃない。後ろめたさもあって、後期の出願は親の薦める横浜国立大学に願書を出した。素直に受け入れた僕に、親は少し拍子抜けしていたけど、横国はB’zの稲葉さんの出身校だ。あっさり折れた。

 二次試験まであと一ヶ月。十二月末からその日まで、センター試験の勉強しかしていなかった。急いで二次試験の感覚を取り戻さなければ。机の横に詰まれた分厚い過去問題集を久しぶりに開く。勘は鈍ってはいない、大丈夫。あとは、やりきるだけだ。

 二月二十五日、二次試験初日がやってきた。使っていた参考書、問題集全てが入っている重たいスーツケースに赤い三本線のアディダスのジャージ。昨年と全く同じ服装で東京の街を歩いていく。いや、外見こそ一緒でも、中身は一年前よりパワーアップしていた。前泊でホームシックになることもなく、緊張するどころか「どんなもんか試してやろう」なんて思う余裕すらあった。

 東大キャンパスに足を踏み入れると、すれ違った受験生が僕の方をちらちら見てビビっている感じがした。自信が顔に出ていたのだろうか。……いや、本当のことを言うと、浪人が決まってから伸ばし続けた肩に届くくらいのロン毛に場違いな赤いジャージの僕は相当悪目立ちしていたらしい。さらに言うと、ビビっていたのは僕の方だった。いざ、キャンパス内に入ると、まわりの全員が賢そうに見えたのだ。

 ビビろうが自信持とうが関係なかった。二日間、全てを出し切るだけだ。

 二十六日夕方。僕は秋葉原にあるカラオケ店にいた。東京のカラオケは高かったが、会員カードを作り、一時間歌い続ける。東京で歌うのはこれが初めてだった。試験はどうだったのかというと、やりきった感も手応えもあった。けど、センター試験では手応えがあったにも関わらず点数が伸びなかったこともあって、自分の感覚がいまいち信じられず、結果は正直分からないなという感じだった。

 百とするなら八十。もっと早く本気でやっておけばという後悔もあったが、そんなことを言ってもしょうがない。もしダメだったら、貯金十万円握りしめてシンガポールへ行こう。そこでホームレスになって一からの挑戦だ。成功して日本に凱旋するんだ。岐阜に戻ってすぐに置き手紙も書いた。ノートにはポエムも書いた。ありがとう。応援してくれたみんなへの感謝の気持ちを込めて。

 僕は完全に燃え尽きていた。後期日程用に試験問題をプリントしてみたりはしたが、手はつけず。何もしないまま、合格発表の日がやってきた。

 定刻通りに大きな板に数字が並んだ紙が貼り出される。受験票に書かれた番号を必死で探す。「……あった。あった!」自分の番号を見つけて思わず大声をあげる。。その姿を見つけた先輩たちが集まって来て、身体はあっという間に宙を舞う……というのが、テレビに映し出される合格発表のお決まりのシーンだ。が、僕は岐阜の自宅のパソコンの前にいた。

 わざわざ東京まで見に行くほどの自信はなかった。発表の時間にサイトにアクセスすれば合否の確認はできる。僕は深呼吸をして気分を落ち着かせると、目の前のパソコンの電源を入れる。なるべく無心で、キーボードを叩いて行く。enterキーを押した瞬間、僕の人生が決まるのだ。もう一度深呼吸して、人差し指でキーを叩いた。

 ロードされた画面に並ぶたくさんの数字。ゆっくりとスクロールしていく。

 「……あった。受かった!」
 
 リビングへ行くと弟が昼ドラを観ていた。興奮気味に弟に結果を伝える。

 「あ、そ」

 二文字で報告は終わった。しばらくして、結果を気にしてパートを午前中で切り上げてきた母親が帰って来た。何て伝えようかと考えながら玄関へ行くと、母親の手には一通の封筒が。

「郵便配達の人が『おめでとうございます』って」

 合格者にだけ届く入学手続き書類を見て気がついたのだろう。配達の人に悪気はないのだ。母親への報告もあっさり終わった。

 家族とは対照的に、小中高、そしてバンドでも一緒だった幼なじみの友達は泣いて喜んでくれた。あっきーも、お守りをくれた子も、みんな大喜びしてくれて、やっと実感が湧いて来た

 東京に行ける。そう思うといてもたってもいられず、その日の夜行バスで上京した。早朝の渋谷に降り立ち、とりあえずマクドナルドに入る。そこで少し時間を潰し、朝一の新幹線で上京した母親と合流し、家を探した。……一緒に新幹線で来れば良かったって?いやいや。夜行バスに対する並々ならぬ憧れがあったのだ。

 初めての東京の家は、ガスコンロ、ユニットバス付き、家賃四万二千円、大家さんが生まれる前からあったという築七十年の木造アパートだ。BUNP OF CHICKENの『プラネタリウム』という曲の歌詞に出てくる「四畳半」の部屋だ。場所は藤井フミヤさんの『下北以上原宿未満』という曲に影響されてこれまた並々ならぬ憧れの地だった、下北沢の近くだ。

 思い通りの最高のシチュエーションで生活ができる!母親は手続きを済ませると岐阜へと帰っていったが、僕は合格の報告も兼ねて、検事を目指して慶応大学に進学していた友達に会うため東京に残った。その友達の家は綺麗なマンションの一室で、めちゃくちゃ広かった。これぞ、東京……。

 岐阜に戻り、荷造をする。一目惚れした一万九千八百円の黒いソファとモニタが二つ置ける曲作り用のPCデスクをニトリで購入。楽器一式を持って上京した。黒いソファはアパートのドアよりも大きく、どうやっても入らなかった。幸い、一階だったので窓から入れることができた。その後、秋葉原に三日間通って、店員さんたちからいろいろ教えてもらった上でパソコンを購入した。曲作りの準備が整った。いよいよ僕の東京での伝説が始まるのだと思うとわくわくしっぱなしだった。

 そんな感じで、僕の東大生活は目前に迫っていた。余談だが、一緒の予備校に通っていた友達は、一人が京都大学に合格しただけで、みんな第一志望は落ちていた。あのときの僕の決断は間違っていなかったのだ。けれど、今になって思うのは、そもそも「浪人はしない方がいい」ということだ。

 十九歳の一年(人によっては十八歳)を無駄にしない方がいい。

 志望校にこだわるのは悪いことではない。けれども、現役で進学する、その選択もまた、とても有意義なものなのだと僕は思う。十代最後の一年、多感な時期を受験勉強という限定された過ごし方に費やしてしまうのはあまりにももったいない。大切な一年。思いっきり楽しめる道を選んでほしい。

続く(この連載は毎週月・木曜に更新します。)

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本連載は「なんでサムライなの?バンドやってたって本当?は!?歴史?っていうか東大?株式会社??わけわかんない・・・・」という疑問にお答えするべく、紫式部さんにインタビュー・執筆して頂きました。

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RYO!

プロフィール
株式会社DO THE SAMURAI 総大将(代表取締役) / プロのサムライ
東京大学文学部。
在学中より「サムライを切り口に、日本の文化や歴史に’楽しく’触れるきっかけをつくる」という志のもと、毎週、世田谷松陰神社の歴史資料館で塾を開講、史跡ツアー・歴史イベントを主催。
そして、2016年4月に法人化。仲間とともに新たなスタートを切る。
株式会社DO THE SAMURAIでは、
「’日本から世界へ”国内の地域から地域へ、
日本人一人ひとりが文化や歴史を発信できる’外交官’に」というビジョンのもと、
地域の歴史ブランディングなど新たな事業に取り組んでいる。
講演依頼、問い合わせなどはryo@dothesamurai.comまで。
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