【3章ー2】ボイトレ、つんく♂さん、友達、そして恋

【3章ー2】ボイトレ、つんく♂さん、友達、そして恋

【これまでの連載のまとめ】
【3章ー1】入学、サークル、そしてバイト

バンドサークルは辞めたものの、やはりバンドがやりたかった僕は、バンドメンバーをインターネットで募集しては、会ってセッションしてみたりしていた。が、なかなか思うようなバンドメンバーと出逢うことができずにいた。

十月からはボイストレーニングを開始した。ROCKな人はボイトレなどやるわけがないと思って考えていなかったのだが、メジャーデビュー前から好きだったシドというバンドのボーカルが、ブログでボイトレを始めたと書いていた。ボイトレの先生のリンクが貼られていたので見てみると、有名アーティストの名前が並ぶ。マジか。すぐに調べて、その先生のお弟子さんにボイトレを受けることにした。

ボイトレは想像以上に有意義なものだった。ただ歌がうまくなるだけじゃなくて、いろいろなことを教えてもらえたからだ。「ライブはデート」「一人一人に視線を配る」発声以外にも学ぶことは多かった。その先生のやり方は「その人の個性にしかないものを引き出す」というもので、例えばリズムが遅れがちな人であれば、声の立ち上がりが遅いことも個性として残す、滑舌が悪いとしても、もちろん歌詞をちゃんと伝えられるように直しつつも、その特徴を生かす歌い方にしていく。といった感じで、もともと持っているものを大切にしてくれた。

表現力をボイトレで磨きつつ、家では曲作りに没頭していた。曲を作っていく中で影響をうけたのがつんく♂さん。℃-uteの『Danceでバコーン!』という曲が衝撃的だった。漢字とカタカナを組み合わせることで売れた『恋のダンスサイト』同様、爆音をバコーンとすることでインパクトが生まれ、曲のイメージががらっと変わる。つんく♂さんの著書を読破し、曲作りは時間を決めて必ずやるというエピソードを真似して、僕も期限を決めて曲作りをするようになった。加えてハロプロの曲を片っ端から聴いて、コンサートにも行くようになる。

この頃はAKB48が世間を席巻しはじめていて、ハロプロ好きの友達はいなかった。℃-uteの話を東大でしようものなら、こう返ってくる。

「キュート?cute、発音違うよ」

学校生活はというと、前期からだんだん遅刻がちになっていた。サークルや音楽に熱中していたからというよりは、東大の授業に少し戸惑っていたからだった。レポートだけの授業はよかったのだが、語学や数学といった必ず出席しなければいけない授業がネックだった。予備校時代と同じように、座学では聞いていてもよくわかならいのだ。じゃあ自分で勉強すればいいかというと、ゴールの決まっている受験勉強とは違って、何をしたらいいかが分からない。

それでも行かなければと、重たい足をひきずって授業へ行く。そうすると、入学前の合宿で「変わった人だから関わらないようにしよう」と思っていた谷君もまた、遅れてやってきた。一人だと気まずいので、二人で一緒に教室に入る。が、そこに会話はなかった。

九月になると理系科目のテストが始まる。この試験は絶対に落とせない。名門高校出身の学生がテストのシケ長となって、先輩から試験対策の情報や過去問をもらって、それをクラスのメンバーに共有する。少し大げさに感じるが、それくらい大切なテストなのだ。が、僕はこの大切なテストをひとつも受けなかった。実は、中学のときの同級生とつき合うことになり、いてもたってもいられず実家に帰ってしたった。

「東京で一旗あげるまでは多治見には帰らないから、そのつもりで」

そう言っていたはずの息子が突然帰って来た。駅まで迎えにきてくれた親はさぞかし心配していたであろう。が、その隣に小中と一緒だった女の子がいることに気がついて、何も言わずに二人を家まで送ってくれた。

テストのシケ長はものすごくいい奴で、何度も電話をくれた。けど僕は「人生の岐路に立ってるから」と訳の分からないことを言い続け、結局、テスト期間になっても東京には戻らなかった。彼には申し訳ないことをしたと、今は思う。

十月末、理系科目の追試を受けることとなった。九月の試験をボイコットした僕は、当然六科目全部追試だ。試験を受けていたはずの谷君は、五科目追試になっていた。そうなると、自然と協力せざるをえない。底辺同士、慰め合いながら、深夜のガストで勉強した。

谷君とはいろんな話をした。クラスの友達とは仲良くやっていたが、名門出身、特に現役で入学した人達には引け目を感じていて、見えない壁を感じていた。谷君は僕と同じく一浪していて、学校の授業が好きではなくて、Gacktが好きで。今までの話、これからの話、いろんな話ができる友達になった。二人とも追試をパスし、無事単位を取得した。

東京も寒空が続くようになってきた頃、春先に辞めていたバンドサークルのライブでコーラスができる人を探しているから参加しないかと声がかかった。久しぶりにサークルに顔を出し、練習に参加する。その中に、背が高くイケメンオーラバリバリの太田君というメンバーがいた。滋賀県出身だという彼と、祖父母の家が滋賀にあり思い入れのあった僕は意気投合し、仲良くなった。

ギタリストだった太田君には僕がやるライブのサポートメンバーになってもらったり、太田君のライブでボーカルがいないときに声をかけてくれたりと、一緒に音楽活動をすることが多くなった。他にもボーカルがいないから参加してほしいというオファーをもらうことが増えてきて、新宿や渋谷のライブハウスで歌うようになる。

夢にまでみた東京のライブハウスでの音楽活動。いろんな人と出逢い、歌うことは楽しかった。が、そこに待っていたのは、楽しいことだけではなかった。

僕は、新しい壁にぶつかることとなる。

続く(この連載は毎週月・木曜に更新します。)

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本連載は「なんでサムライなの?バンドやってたって本当?は!?歴史?っていうか東大?株式会社??わけわかんない・・・・」という疑問にお答えするべく、紫式部さんにインタビュー・執筆して頂きました。

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RYO!

プロフィール
株式会社DO THE SAMURAI 総大将(代表取締役) / プロのサムライ
東京大学文学部。
在学中より「サムライを切り口に、日本の文化や歴史に’楽しく’触れるきっかけをつくる」という志のもと、毎週、世田谷松陰神社の歴史資料館で塾を開講、史跡ツアー・歴史イベントを主催。
そして、2016年4月に法人化。仲間とともに新たなスタートを切る。
株式会社DO THE SAMURAIでは、
「’日本から世界へ”国内の地域から地域へ、
日本人一人ひとりが文化や歴史を発信できる’外交官’に」というビジョンのもと、
地域の歴史ブランディングなど新たな事業に取り組んでいる。
講演依頼、問い合わせなどはryo@dothesamurai.comまで。
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