【2章ー3】予備校、辞めてもいいですか?

【2章ー3】予備校、辞めてもいいですか?

【1章のまとめ】
【2章ー1】魔法の杖〜東大受験本格始動〜
【2章ー2】足りなかった二十点 一浪決定

三月十八日。二、三百人の熱い視線を感じながら、僕はバンドの代表曲『青春爆発GO!!』を熱唱していた。ステージ上には、高校生活を共に過ごしたバンドメンバー。あっという間に過ぎた三年間だったが、僕らのパフォーマンスレベルは格段に上がっていて、集まってくれた同級生や後輩、他校の生徒の熱気は、僕らの奏でるリズムに合わせて大きなうねりとなっていた。

春休みに解散ライブ、それからわずか数ヶ月後の夏休みに一日だけの復活ライブ……ときたら、やっぱり卒業ライブもやるでしょう。誰からともなく言い出したのは、間もなく別々の道を行くことになる僕らにとって、これが本当の「ラストライブ」だと分かっていたからだ。メンバーのうち三人は大学へ。ベースのてっちゃんは名古屋の駿台予備校へ。そして僕も同じく駿台へ通うことが決まっていた。

高二の春、突然宣言した東大受験。家族も先生達も「まぁ、落ちるよね」という感じだったから、圧倒的に学力が足りなければ「ほらみたことか」と別の進路を勧めようと考えていたんだと思う。しかし「合格点まで二十点」という試験の結果を伝えると、「箸にも棒にも引っかからないというわけでもないから何とも言い難い……」と、それまでいろいろと練っていたであろう「僕に掛ける言葉」を出せずに戸惑っていた。両親に、もう一度東大受験に挑戦したいことを伝えると、
「それだけ言うんだったら、あと一年だけ頑張りなさい」
と浪人になることを許してくれた。

家から通える予備校は名古屋にしかなかったから、浪人する同級生がみんな通う駿台に僕も入学手続きをした。卒業ライブが終わって時間が有り余っていたが、軽い燃え尽き症候群になっていたこともあって、勉強はせずに、予備校のカリキュラムについて調べてみたり、読書をしたり。入学までの時間は自由に過ごした。

四月中旬。予備校が始まり、本格的な浪人生活がスタート。高校三年間、塾に通っていなかった僕にとって、受験専門の予備校のシステムは新鮮だったし、まわりもみんなやる気に満ちていて、新しく始まる生活にワクワクしていた。ところが入学して早々、講師が話した「事実」に僕は衝撃を受けることとなる。

これまで多くの浪人生を指導してきたベテラン講師は、僕らをぐるりと見渡すと、淡々とした口調でこう言った。

「浪人しても六割の生徒の学力は現役のときと変わらない。じゃあ残りの四割は変わるのかというと、三割は逆に成績が下がる。成績が上がるのは全体のたった一割だ」

浪人しても成績が上がらない?そんなことがあるのか?

ふとまわりを見渡すと、近隣県から集まったたくさんの生徒が真剣な顔で講師の話を聞いている。その中にちらほらいる、公立進学校や名門私立の卒業生。こんなに賢そうな人達がいても、一割なのか。そういえば……。

予備校の玄関に貼り出された合格実績を確認すると、前年東大に合格したのは三十人。おいおい。大教室にはざっと百五十人から二百人近く集まっていたはず。本当に一割なんだ……。それに同じ東大志望の浪人生と言っても、わずか〇.一点で不合格となった人もいると聞いた。既に学力の差はある。そして、一年後にはそれがもっと明確になるのだ。

足りなかった二十点を埋めなければ、来年の合格もない。講師の言葉にビビってる場合じゃない。その「一割」になればいいのだ。

「とにかく頑張ろう」

そう決意した矢先、その事件は起きた。

四月も終わりに差し掛かったよく晴れた朝。いつものように最寄りの丸の内駅で電車を降り予備校へ向かう途中、カバンの中でやたらうるさく鳴り続けていた携帯電話を取り出した。まだ朝八時だというのに、未読メールが十件近く溜まっている。何かあったんだろうか。メールを開封していくと、奇妙なことに送り主はバラバラなのに文面はほぼ同じなのだ。

「亮君、大丈夫?」

何を心配されているのだろう。僕、何かしたかな?それとも地元か名古屋か、とにかく僕がいそうな場所で何かが起こったのだろうか。まったくピンとこないまま最後に開いたメールには一言「ヤフーニュース!」と書かれていた。送り主は母親だ。わざわざYahoo!を見にいかなくても、メールに何が起きたのか書いてくれればいいのに……。

いつもの見慣れたトップ画面が開いた瞬間、僕は自分の身体が凍りついたのをはっきりと感じた。

『草なぎ剛がわいせつ罪で逮捕』

それぞれの単語の意味はもちろん分かる。でも……え?何を言ってるんだ?意味が分からない。分からないし、分かりたくもなかった。

僕に取って剛くんは「神様の一人」だった。二〇〇五年ナゴヤドーム、SMAPコンサート、アリーナの最前列から二列目。これ以上ないくらい最高の席で僕は神様たちのパフォーマンスに夢中になっていた。ライブが終わりに近づき、手を振りながらメンバーが僕の前を通り過ぎて行く。その時、剛君は、僕たちファンの目を一人ずつ、しっかりと見て、一人一人に向けて手を振ってくれたんだ。SMAPはもちろん全員大好きだったけど、そのときから剛君は僕にとってのヒーローであり、神であり、憧れの存在だったのだ。

そんな、神が奈落の底に落ちた。

昨日と同じ今日のはずだった。僕の視線の先には見慣れた予備校の黒板があって、講師が何やら話していて、ノートに書き込む音が教室中から聞こえてくる。まわりは至っていつも通りだ。なのに、僕だけが昨日までとは違う存在になってしまったようだった。僕の携帯には心配した友達からひっきりなしに連絡が入るし、テレビやネット、至るところでネガティブな報道が目に、耳に飛び込んでくる。それと比例するように、気分はどんどん落ち込んでいった。

僕がミュージシャンを目指したのは、あの日観たSMAPのコンサートに感銘を受けたからだ。僕が東京に行きたいのは、SMAPのツアーファイナルがいつも東京で、憧れの都市だからだ。そのSMAPが活動を休止してしまった。解散するかもしれない。僕の理想が、憧れが、どんどん薄れて消えていってしまう。じゃあ僕は、何のためにミュージシャンになるのだろう。何のために生きているのだろう。考えれば考えるほど、耳の奥でこだまする友達の声。

「大丈夫?大丈夫?大丈夫?」

授業が終わった後、開放された教室での自習もそこそこに、街に出て何をするでもなく歩きまわる。早めに帰って、近所の公園のブランコに揺られてみたりする。何をしても気分は晴れない。僕はどうしたらいいのだろう。気分転換に中学の同級生に誘われたたこ焼きパーティに行ってみる。大学生になった友達はみんな、楽しそうだ。僕だって毎日予備校に通っている……けど……。

予備校に通い勉強しながらも、僕の頭の中からもやもやが消えることはなく、僕はただ目の前にある勉強をこなしていくのが精一杯だった。そこには数週間前のワクワクも、東大受験を決めたときの高揚感も、問題を解いていく爽快感も、とにかく何もない。あるのはむなしく響く自問する声だけだ。

「僕は、いったい、どうしたらいいんだろう」

ゴールデンウィークが終わったころ、文系のクラスに通っていた友達が僕のところにやって来た。彼女はすまなさそうに、こう言った。
「ごめん亮君。前に、てっちゃん元気?って訊かれて、元気だよって言ったよね。あれ、てっちゃんじゃなかった。別の人だった。てっちゃん、しばらく予備校で見かけてないよ」

僕は急いでてっちゃんに連絡をする。バンドメンバーで、浪人が決まったときも、一緒に頑張ろうと誓い合ったてっちゃんは、すでに予備校を辞めていた。

マジか。

草なぎ君の事件から二ヶ月ほどが過ぎた。SMAPは活動を再開し、少しぎこちないながらもいつも通り、テレビの向こう側でキラキラと輝いていた。けれどそれを観ている僕の心は晴れないままだった。

モチベーションはすっかり下がってしまっていた。理由は例の事件だけではなかった。まず、通学の電車。大学生となった友達と毎朝顔を合わせて「最近どう?」と訊かれることが苦痛だった。一浪したことに後ろめたさはなかったはずなのに。

そして勉強の面でもつまずきを感じていた。二ヶ月やってきたことは僕にとってあまり意味がなく、何も身についていないことに気がついたのだ。そもそも中学、高校と、授業を聞いて勉強するというよりは、教科書や問題集を自分のペースで解いてきた。そんな僕は席に座って先生の話を聞くという「当たり前の勉強法」をしたことがなく、非常に効率が悪くなってしまっていた。これでは予備校に通う意味なんてない。

両親には申し訳ないが、前期中に辞めれば後期の授業料は返還されると、てっちゃんから聞いていた。だったら早い方がいい。もう迷いはない。

「予備校辞めたい」

突然そう切り出した僕の顔を見て、両親はぽかんとしていた。この子、何言うてんの?わけわからん。そんな感じだった。

「自分には予備校のやり方は合わない。実際、学力が伸びているとも思えない。だから、辞めたい」
「は?え?何て?」
「だから、予備校を辞めたい。自分のやり方で勉強するから」

一悶着どころか二悶着くらいあったが、僕は折れるわけにはいかなかった。このまま予備校を続けてもますますモチベーションが下がるだけだ。独学で宅浪。そんなに甘くないことは分かっている。だからこそ、選ぶことに意味があるんだ。これは試練なんだ。試練なら受けよう。SMAPなら、きっと困難な道を取る!

両親はしぶしぶ退学を許してくれた。まあ、この後母親には幾度となく、
「子育て失敗した……」
と言われるのだが。

六月に退学したいと学校側に伝えたが、前期までの受講費は支払っているからと、七月いっぱい授業を受けるように薦められた。

予備校の授業で唯一よかったことは、英語講師、竹岡広信先生の教え方が素晴らしかったということだ。英語は僕の苦手科目であり最大の課題だったのだが、先生の授業を受けたことで苦手意識を克服、英語が楽しくなってきたところだった。結局、英語の講義だけは最後まで受けることにした。その授業に出席するため名古屋に向かい、授業が終わるとカラオケへ行ってひたすら歌ったり、帰りの電車から降りずに目的もなく三重まで行って帰ってきたり。無気力に、ただ時間をやり過ごしていた。

そして八月。僕は予備校を辞めた。東大受験は……。

続く(この連載は毎週月・木曜に更新します。)

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本連載は「なんでサムライなの?バンドやってたって本当?は!?歴史?っていうか東大?株式会社??わけわかんない・・・・」という疑問にお答えするべく、紫式部さんにインタビュー・執筆して頂きました。

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RYO!

プロフィール
株式会社DO THE SAMURAI 総大将(代表取締役) / プロのサムライ
東京大学文学部。
在学中より「サムライを切り口に、日本の文化や歴史に’楽しく’触れるきっかけをつくる」という志のもと、毎週、世田谷松陰神社の歴史資料館で塾を開講、史跡ツアー・歴史イベントを主催。
そして、2016年4月に法人化。仲間とともに新たなスタートを切る。
株式会社DO THE SAMURAIでは、
「’日本から世界へ”国内の地域から地域へ、
日本人一人ひとりが文化や歴史を発信できる’外交官’に」というビジョンのもと、
地域の歴史ブランディングなど新たな事業に取り組んでいる。
講演依頼、問い合わせなどはryo@dothesamurai.comまで。
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