【連載1章ー4】数学も物理も化学もロマンだ(前編)

【連載1章ー4】数学も物理も化学もロマンだ(前編)

【1章ー1】魔法の言葉を覚えた小学生(前編)
【1章ー1】魔法の言葉を覚えた小学生(後編)
【1章ー2】なりきり法 最強(前編)
【1章ー2】なりきり法 最強(後編)
【1章ー3】音楽最高!人生はROCKだ!(前編)
【1章ー3】音楽最高!人生はROCKだ!(後編)

物心ついた頃からとにかく歌うことが大好き。バンド活動にも熱中していく中で、
「ミュージシャンになりたい、音楽を仕事にしたい」
という気持ちが日に日に大きく強くなっていくのは当たり前の流れだった。だから、まさか自分が東大を目指すことになるなんて、当時はこれっぽっちも思わなかった。思うはずがなかった。

僕にとって魔法の言葉を使って誰かになりきるというのは最高に楽しいことだった。だけどそれは「勉強のため」とかじゃなくて、その時その時を「全力で過ごすため」のモード切り替えみたいなものだった。宿題を早く終わらせたいから木村拓哉になる、ボールを真っすぐ速く投げたいから上原浩治になる、本を速くたくさん読みたいから写輪眼モードになる。そんな感じ。

東大生だと言うと、昔から賢くて中学くらいから東大を目指していて……と思われがちだが、自分で言うのも何だけど音楽が大好きな普通の子どもだったし、学校での過ごし方だって普通だったと思う。ただ、
「読書好き」「夢中になるとまっしぐら」「負けず嫌い」「目立ちたがり」
この四点は、友達に絶対に負けないくらい強かったかもしれない。

僕が本を読むようになったのは小学二年生のとき。ドッヂボールが流行っていて休み時間になるとみんなでドッヂボールをしていた。そんなある日、仲良かった友達が図書館に誘ってくれた。二人で図書館に行く、ただそれだけのことなのだが、それが妙にワクワクした。

そこで僕が手に取ったのが、学習マンガ『日本の歴史』。おそらく誰もが一度は手に取ったことがあるであろう、あのハードカバーの漫画に僕は夢中になり『伝記』シリーズも合わせて一気に読破した。その後はお決まりの『ズッコケ三人組』や『アルセーヌ・ルパン全集』など、図書館の本を次々に読んでいった。担任の先生に薦められて読んだのが、乙武さんの『五体不満足』。今考えると小二で読むには難しい気がするが、なんとか読めたと記憶している。

母親も読書好きだったから、家にあったいろんな本も読んだ。高校二年のときには図書館の本読破を試みて、夏休みに四十冊くらい本を借りる。
すれ違う友達、友達にこう言われる。
「亮君、その本、筋トレに使うの?」
「読むに決まってるやん!」
そんな会話が飛び交った。

本ばかり読んでいたかというとそうでもなくて、習い事もしていた。歩き始めたくらいから通っていた水泳は小学校にあがるくらいにはかなり上達していて、一時期はジュニアオリンピックを目指そうと、名古屋にある教室まで通っていたくらいだ。だが、片道一時間半の送り迎えが面倒くさくなった親の意向もあり、地元の教室に移り、九歳のときに辞めてしまった。

入れ違いで少年野球チームに入った。きっかけは活躍するとお菓子を一箱もらえるよ。という友達の言葉。中日ドラゴンズにいたゴメスという外国人選手の真似をして思いっきり空振りしたり、友達とわいわい楽しく始めた。

勉強はというと、小四から公文で算数を習っていた。もともと計算は得意だったのだが、クラスメイトに僕より計算が速い子がいて悔しかったのだ。その子が公文に通っていると聞いて、僕も行きたい!とお願いして通い始めたのだが、結局は教室で遊戯王をやっていた。とはいえ、すっかり負けず嫌いな性格ができあがっていた僕は「漢字百問」「計算速解き」テストなどにはとにかく燃えた。SMAPなら絶対一番だから、僕も一番だった。

とにかく人に負けたくない、目立ちたい、その一心でやっていたことが、結果的に僕を「勉強もスポーツもできる子」にしていた。ありがたい話だ。

中学生になると、期末テスト期間はお小遣いゲット期間となった。どういうことかと言うと、親にこういう提案をしたのだ。

「一番を取ったら八千円、二番なら五千円、三番なら三千円のお小遣い」

お金をかけるのもどうかと思うが、僕が熱くなるには十分すぎる金額だった。期末テストは年三回しかない。その三回で、どれだけ好きなCDが買えるかが決まる。必死でやるよね。

中学一年、始めての期末テスト。僕は学年で一番になった。自信をもった僕は好きな子に告白。OKをもらってさらに自信がついた。学年で一番になったら携帯を買ってもらう約束もしていたので、彼女とメールもできる。最高だった。
が、毎月塾で受けるテストで十位以内に入っていなければ携帯は没収となる。三回ほど没収された。

中学三年間は地元のみんなが集まる塾に通っていたのだが、そこの社会の先生がとにかく最高だった。授業がめちゃくちゃわかりやすくて面白かったのだ。そのおかげで社会が得意になったのだが、学校の社会の授業はつまらなかった。社会だけじゃない。すべての授業がとにかく面白くなかった。しょうがないから、決められた問題をさっさと終わらせて、机の下で隠れて本を読んだり友達をしゃべったりしていた。授業に対する姿勢は、とても真面目とは言えない生徒だった。

夏休みの自由研究は毎年歴史だった。十人の話を瞬時に聞き分けたというエピソードで「そんなやついるのか。めっちゃ頭いいやん!」と興味を持った聖徳太子について調べたり、大河ドラマが大ヒットしていた新選組について調べたり、大好きだった前田利家について調べたり。「質より量」派で、資料をどっさり集めて提出。分厚い紙束に先生も「何やこれ」という感じだったが、僕はドヤ顔していた。

他の授業もとにかく楽しくやっていて、家庭科では友達三人分のハーフパンツを縫ったり、音楽でも目立ちたがり屋ぶりを発揮して、合唱曲なのにJ-POP風に歌ってドヤ顔したり。百人一首大会も本気で、中学三年までずっと一位。しかも七十枚奪取という圧倒的勝利をおさめていた。とにかく調子にのってはいたが、何でもこなす子どもだったと思う。

よく学校で耳にする『文武両道』という言葉。僕とあっきーは、「部活も勉強も?俺らはそれだけじゃない。音楽もだ!」と言って『文武両道+α』を目指していた。戦国武将は強いだけじゃなくて知恵もあり、和歌だったり茶道だったりと風流を極めている人が多かったし、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、数学、天文学、音楽、美術、全部できる人にとにかく憧れていたのだ。そういう意味では、勉強も部活もバンドも、僕にとっては『理想の自分になるために必要なもの』だったから、やらされてる感はなかったように思う。つまらない授業以外は。

高校受験シーズン。実は、僕とあっきーは一般入試の前に「特色化選抜」という試験を受けていた。各高校がしめす「求める生徒像」に沿って学校が独自に制作した問題が出題されるその試験は、その後システムが何度か改訂され、今は廃止されている。僕とあっきーは、内申点も良く試験を受けた感触もよかったのだが、落ちた。学年で上位にいた僕はまさか落ちると思わず、プライドが傷つけられ、ふてくされて「音楽の専門学校に行く!」と言い出すことになる。(その後撤回し、高校に進学したのは前述の通り)

一般入試で無事合格した僕とあっきーは、一つの誓いを立てた。特色化選抜で合格した生徒は、学年二百八十人のうち五十六人。入試ではその中に入れなかったからこそ、高校生活中は絶対に五十六番以内をキープしようと。バンド活動、部活、休日には思い切り遊んだとしても、それだけは守ろうと。この約束があったこともあって、バンドに夢中になり野球を続けながらも、勉強がおろそかになることはなかったのだと思う。単純だが、こういうプライドは大切だ。

続く(この連載は毎週月・木曜に更新します。)

《出版社募集!》
本連載は「なんでサムライなの?バンドやってたって本当?は!?歴史?っていうか東大?株式会社??わけわかんない・・・・」という疑問にお答えするべく、紫式部さんにインタビュー・執筆して頂きました。

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企画書【現役東大生社長 職業:サムライ(仮)】
矢文(メール)はryo@dothesamurai.comまでご連絡下さいませ。
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RYO!

プロフィール
株式会社DO THE SAMURAI 総大将(代表取締役) / プロのサムライ
東京大学文学部。
在学中より「サムライを切り口に、日本の文化や歴史に’楽しく’触れるきっかけをつくる」という志のもと、毎週、世田谷松陰神社の歴史資料館で塾を開講、史跡ツアー・歴史イベントを主催。
そして、2016年4月に法人化。仲間とともに新たなスタートを切る。
株式会社DO THE SAMURAIでは、
「’日本から世界へ”国内の地域から地域へ、
日本人一人ひとりが文化や歴史を発信できる’外交官’に」というビジョンのもと、
地域の歴史ブランディングなど新たな事業に取り組んでいる。
講演依頼、問い合わせなどはryo@dothesamurai.comまで。
Twitter:https://twitter.com/RYO_ReaL
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株式会社DO THE SAMURAI:http://dothesamurai.com
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